過去のコラム:

CHAPTER 3

目次

1.保育園にできること
2.なぜ育児サークルがウケるのか?
3.「おやこDEわはは」って何?

12月に第2号を発行した情報誌「おやこDEわはは」をごぞんじですか?この本は「主婦が自分たちの知りたいことを自分たちで取材する」というコンセプトのもと作られています。主婦の感覚と現状を的確にとらえている編集長の中橋さんにお話をうかがいました。

少々長めのインタビューになってしまいましたが、さまざまなお話を聞かせていただきました。皆さんもぜひお読みください。




こちらが編集長の
中橋恵美子さん。

Q:情報誌を作ろうと思ったきっかけは?
A:

もともとは香川の出身なんですけど、結婚してすぐ茨城県のつくば市で生活をはじめたんです。すぐ妊娠して出産したんですけど、知らない土地でどこの病院に行っていいか分からない。私も子供を育てるのは初めてで山本さんと同じなんで、分からないわけですよ。

産婦人科どこがええんかな?って夫と一緒にドライブしてて通りすがりの看板見つけて「あっ産婦人科だ!」とかって(笑)。そのあとも土地勘がないから、毎回検診のたびに夫に車に乗せてもらわなければいけないし、友達もいないし、産まれたら産まれたでミルクどこで買うたらええんやろ?とか相談する人もいないし。本当にものすごい不便だったんですよ。それでも3年間生活して、ようやく友達もできて、生活がだいたい慣れてきたころにこっちに帰ってきたんですよ。


Q:香川の情報には詳しかったわけでしょ?
A:

香川で生活すること自体に不安は無かったです。自分が生まれ育った土地ですからね。

ところが子供連れて帰ってきて「小児科どこ行こう?」と思って近所の人に聞いたら「あんたが前行っきょったから」って紹介してもらった病院の先生がおじいちゃんなんですね。手震えながらやるのを見て「こらいかんわ…」と思って、ある程度きれいで腕があって若い先生がいるのはどこなんだろう?と思ったときにどこに聞いていいか分からない。ネットワークも情報媒体もないし。子供服買おうとか、子供連れていっても良いレストランとか、もうすべてが不便で…。

香川県のことは大体知っているつもりだったけど、子供連れて帰ってきたらぜんぜん分からないことばかりで「まして転勤族で相談する相手もいない人だったらすごい不便だろうな」と思ったんです。自分もつくばにいた時は密室育児でずいぶん悩んだんですよ。ストレスもあったし。頼るのは夫しかいないけど、夫もよく海外出張とかでいなかったりとかして、本当にビクビクしながら生活してたから「あ、こういう思いで香川で生活してる人もいるんだろうな」と思ったら、なんか自分のできる範囲でやってみよう、と思って普通の育児サークルを作ったんですね。


Q:そこから情報誌に・・・?
A:

みんな自分のエリアの情報はなんとなく持ってるんですよ。自分がいきつけの小児科の先生は何の専門だとか、自分の行ってる耳鼻科の先生は治療が終わったら飴くれるから子供が泣かなくてすむとか、もう半径500mくらいの狭い範囲だけど自分なりの情報は持ってる。じゃあそれを集めて何かできないかなあ、と思ってる時にたまたま高知に遊びに行ったら育児情報誌みたいなのがあったんです。

すぐにその足で作ってる人に会いに行ったら、普通のマンションに住んでるまったく普通のお母さんなんですよ。その人も転勤族で「自分が前に住んでた土地には情報誌があったのに高知に来たら情報誌がないのですごい不便だ、と思って呼びかけたら本ができた」という話を聞いて「じゃあ作ろう」って。

私は本なんかを作ったことも全然なかったし、もの書きでもないので、こうやって語るのも実はすごく恥ずかしいんですけど、それまで毎日新聞見たりニュース見たりしてなかったんですよ。ほんとに普通の主婦だったんです。本作るようになってからはだんだんそういうことに関心が出はじめて、いろいろ思うところがあるんですけど…。まあ、きっかけはそういうことですね。


Q:雑誌を作って良かったことって何ですか?
A:

やっぱり主婦で今は子育てしかやってないような人も、1年前ではパソコン使って仕事してたり、営業の経験があったり、イラストが描けたりってすごい才能を持っているんですよ。でもそういう人が主婦やってると埋もれてしまうんで、見つけていくことは大事なのかなと思ってます。初めは自信がなくても、作っていくうちに自信がついてくるんですよ。イキイキしてきて。自分の居場所ができたことをすごく喜んでくれるんですよ。だって主婦って生活の中で自分の名前で呼ばれることも少ないでしょ?「○○ちゃんのお母さん」ていう感じで。だからコンピューターで名刺作ってそれを持って取材に回るだけで十分楽しいんですよ。決してそれが収入に結びつかなくても。


Q:逆に苦労した話は多いと思いますが…?
A:

創刊号出すときは実績がないので「主婦はあてにならない人」と思われてるんですよ。実際、来るって言っても子供がその日熱を出せば休むし、期日を守らないしで確かにあてにならないんですけど…。世間のお母さんへの信頼を勝ち取るのが難しかったです。宗教団体や押し売りに間違われたりとか。

コープかがわさんにはうちの本を共同購入のリストに入れていただいているんですけど、共同購入に入れてもらうのって難しいんですよ。ちょうど頼みに行ったのはうちの子がまだ小さい時で、片手で子供抱えて訪問してたんですけど、最初は門前払いみたいな感じで、2回3回足を運んでも「お母さん、その本どこが作ってるんですか?」「育児サークルです」「そんな明日にも解散してしまうかも分からないグループとは取引できません!」ていうようなやり取りがあって…。

私にとってもいい加減な者あつかいされたのがショックで「くっそー」と思って、話している時にちょうど子供が泣き始めたんで「じゃあもういいです!でも私はこんな風に子供を抱えて本屋さんにも行けないようなお母さんのために作ったんです。別に営業目的でもないんです。そういうお母さん達でも購入できるのがコープさんだからと思ってお願いに来たんですけど、分かってもらえないならもういいです!」ってタンカきって帰ったんです。そしたらすぐ家に電話があって取り扱ってもらえるようになったんです。

でもはじめは「共同購入の中で書籍は50冊も売れたらいいほうやから、うちも地域の活動の支援という意味で扱うから…。」ていうニュアンスだったんですけど、最初の週だけで何百冊も売れて、コープさんもびっくりしたみたいで「何かの間違いですかね?」って電話がかかってきました。


Q:最近印象に残っていることは?
A:

さっき話した高知の情報誌に「高知には夜間救急病院がない」っていう記事が載ったのをきっかけにして、実際に病院ができたんですよ。実はうちの「わはは」でもお母さんの声をきっかけにして、今度から6歳以下の夜間病院の医療費の控除がはじまるんですね。

ところが別の取材で「私は高知に及ばないかもしれないけど、こういうことを香川でもできたらと思ってます。」ということをある小児科の先生に話したら、その先生は夜間救急病院でも診ている人だったんです。その先生の話では「お母さんが昼間仕事しよったら子供を病院に連れていけないので、夜間病院やったらどうせタダやから、って子供が大した病気でなくてもたくさん来るようになったんです。そのせいで本当に熱出して苦しそうな子供が長いこと待たないかんので困ってるんです。」という話を聞いたんです。

小児科の先生としてはどうしようもないわけですよ。来るものを拒むわけにもいかないから。そういう「お母さんのモラルの低さ」という事実もあるということを知ってちょっと残念でした。実際、お母さんたちの「教育」とまではいかなくても、「考えてほしい」と思うことはけっこうあります。


Q:最後に今後の目標は?
A:

福岡に「親子でCHACHACHA(チャチャチャ)」ていう情報誌があるんですが、そこは実際に会社を起こして固定のスタッフもいて、創設者のお母さんが社長になっているんですよ。企業とタイアップしてマーケティングみたいなこともやっているので、そういう会社をつくってみたいな、というのが夢です。

創刊号も2号もまったくボランティアで作ったんですけど、よくボランティアやってる人って婦人会とかでも子育て終わって現役からリタイアした人が多いじゃないですか。でも私たちのほとんどはまだ子育ての最中で、時間もお金も続かない、明日にでもパートに出たほうがいい、という中で夕飯を一品削りながら活動しているので、子供が幼稚園に入る年になって昼の2時3時まで時間が空くと、その時間パートでもして小銭稼いだ方が絶対にいいんですよ。

乳幼児を見ているお母さんは「どうせ24時間子供と一緒にいるなら、家の中にいないで外に出て社会的なことでもしてみようか」っていうノリなんですけど、それも結局長続きしないんですよね。だから自分が動いた分の労働賃が払えるようになれば、続いていくのかなあ、と。でもお母さんってスポンサーに「お金ください」って言いにくいんですよ。無償の労働が美しいみたいな価値観がメンバーにも私自身にもあって…。でも今回は広告も少し載せたんで、少しでも目標に近づけているかなあと思うんですけど。



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